ねこのごろごろ

おさかなねこです。

繋げていくこと

「俺のやってることってさ、社会的価値あるの?」
ある人に電話で訊かれました。
「俺さ、よくわかんなくなった。人生一度きりなんだから楽しもうぜ〜色々しようぜ〜みたいな個人の話じゃなくて。いやもうそれなら存分楽しんでるし(そうだね君はいろんな意味で楽しそうだ!)、今聞きたいのはそうじゃなくて、」
「人間社会としての人生ってなんなの?」

そうだなあ。開口一番こんなこと訊かれるとは想定しなかったよ。数ヶ月振りの会話なんだしさ、ひさしぶりの一言くらい入れようよ。ちょっとくらいアイスブレーキングしようよ。
 
人を生きるってなんでしょう。
簡潔に表すなら私は
「自分の知恵を他人に受け渡す・繋げること」
なんじゃないかなあ、と。

 

生物学的には子孫を残すこと、
それと同じように社会的には知恵を繋げていくこと。
それが生命なんじゃないかなあと。私は勝手に思ってる。
知恵は知識とは全く異なるもの。
知識に経験や思考すなわち人生が練り込まれたものが知恵。何かがあった際、その現実をしっかり受容した上で自分がどうするかを選択する。じっくりことこと時間をかけて煮込まれとりだされた決断。そしてその結末をまた受け止め考え…
その一連の流れが知恵となりうる。
私の解釈ね。
でも、その流れを知恵としてちゃんと受け取るには、受け取り側にも時間と経験が必要なんだろうね。
「不倫は時間の無駄でしかない」と不倫で痛い目みたひとに言われたって、ラブラブ不倫中脳内お花畑の人間には届かないように。うっわあすごい例えしちゃったな。
 
いまやってることに社会的価値がみいだせない、という男友達へ。
社会の為になる(っぽい)ことを無理して選ぶ必要なんてないんじゃない?
自分の人生に責任をもって現在の道を選んだならそれでいいんだと思います。私は君の人生に責任持てないから、こんなこといっていいのかアレだけど。
そのかわり。
そのかわりね、どんなことを思ったか考えたか悩んだかを、しっかりコトコト、自分のなかで煮込んでください。具材が全部溶けたスープくらい。スープの匂いが身体にしみつくくらい。
そしてもし、同じようなことで迷った存在がいたとき、そっとスープを差し出してあげてください。誰かに飲まれたスープはその人の心に溶け込んで受け継がれる。またその誰かが人生をかけてスープをつくり、誰かにそっと差し出す。スープを直接差し出すことがなかったとしても、身体から漂うスープの匂いに他者の脳は反応する。
繋がっていく。
 
そしてこれが大切なんだけど…
あなたがつくったスープを差し出せるのはあなただけ。
相手に暖かくときには鋭く響くのは、あなたがつくったスープだけ。「患者を救えなかった」と自身の過去を思い出している先生の瞳がどんなマニュアルよりも深く私に響くように。
 
他人の威を借りるわけにはいかないのよ、
知恵を知恵として成り立たせるためには。
 
私も誰もたくさんの人達から差し出された知恵を抱えている。自分の知恵として身体にしみこませることができたのは、そのうちどれくらいだろう。わたしはどれくらい繋げていけるのかなあ、いろんな人達の思いを。
 
自分の知恵を他人に繋げていくこと。
大袈裟なことをする必要なんかなくて、ちゃんと自分の人生を自分で一歩一歩踏みしめること。それが人を生きるということなんじゃないかなって。
 
あくまで私の解釈なんだけどね。
ちゃんちゃん。