路面電車に乗り
春の陽気を感じるとまず長崎が浮かぶのもザボン味のカステラ食べたくなるのも、路面電車に乗りたくなるのも花々で満ちた庭園を歩きたくなるのも、坂道の途中でふと振り返った景色があんまりにも鮮やかで暫く立ち尽くしたことを思い出すのも、はじめて長崎に足を踏み入れたのが春だったからなんだろうなあ。
数年前の春、長崎空港から市内への連絡バスに揺られながら、柴咲コウの「invitation」をずっと聴いていたのが懐かしい。春なのに日差しが痛かった。
またみんなでこよう
きみなしでもへいき
路面電車に乗り ひたすら揺られてみたら
「過ぎた夏の記憶」に収まる
沖縄も同じ。沖縄は、秋冬だね。
そこに誰がいたとか何があったとかそういうことはどんどん薄れていってしまうのに、どんどん新しい記憶で溢れかえるのに、もはや思い出そうとしなければ思い出せないのに、なのにあの瞬間、はじめてやってきたときのあの感情だけはいつだって鮮明に唐突に浮かぶ。
はじめてって、絶大だ。
あとねあとね、行為としてと感情としてのはじめてって全く別モノだから面白いよね。もちろんほとんどは一緒にやってくるのだけども、でも時々、同じ行為に対して複数回はじめての感情を味わえたりする。
そんなとき、やっぱり思う。
何度も繰り返してきたことを何度でも「はじめて」って感じさせてくれるモノや人や場所って、どれだけ自分にとって大事で大切で素敵な存在なんだろうって。
はじめてって、特別。
繰り返しのなかにあるはじめては、もっともっと絶大。
そろそろ沖縄行きたいなあ。