ねこのごろごろ

おさかなねこです。

私は私のために

夕方うたた寝をしていたら、遠い昔のことを夢にみた。

目が覚めても布団に潜ったまましばらくぼんやり考え事をしていたらいつの間にやらかなりの時間が経っていて、ベッドから飛び起きパソコンにかじりつきレポートを打ち始め涙目になる私。なんで布団に潜りっぱしちゃったかなあ、いやまあ考え事してたわけだけど、いやでも布団め私を誘惑してきやがってあんなぬくぬく感包まれ続けたくなっちゃうじゃんか、あ。ああ。

 

私は選んだんだ、自分で。あのとき絶対に。

布団に潜ったままでいたことも。遠い昔のことも。

 

 

自分自身で決めた選択肢の先が思い通りじゃなかった理想通りじゃなかったからって、「誰々のせいで」なんて被害者面をしながら生きていきていきたくはない。だってもう充分な判断能力があると世間から評価される年齢だし、わたし(騙された場合は全く別だけどさ)。

しかも時折、「君のため」ということばを振りかざしながら「自分のため」な言動をしてくるひともいる(多くのひとは無意識のうちにやっててもしかすると私もどこかでそんなことしてしまっているかもしれない恐ろしい)。そして理想通りの結末にならないと「君のためにこんなにしたのに」「君のせいで」と「君」を罵り始める。自分で勝手に選んだことなのにさ。

 

私は私のためにあそこにいた。

「誰かのせい」「何かのせい」だと言えばきっとすぐに楽になれただろう。私は悪くないあのひとが悪い。あいつがあんな風に言わなければ、あのひとのためにこんなにしたのに、私は被害者なんです、だってあいつがこう言ったから、わたしは悪くない。あれが、あのひとが…そんな風に罵れたなら、遠い過去もあんなに苦しまずにすんだのかもしれない。

でもそうしていたら私の時計はそこで止まってしまっていただろうなあ、と今でも思う。だってわたし、自ら選んでその道に進んでたんだもの。誰かに無理強いされた訳でも騙されたわけでもなく自分で決めた選択肢だった。私のために、私が選んだことだったんだよ。

 

『誰かのために』は『誰かのせいで』に一瞬で変わってしまう。そんなシーンはもう、お腹いっぱいなんです。私は私のために選んでいまここにいる。私が大切にしたいからあなたを大切にする。あなたのせいにも誰のせいにもしたくない。このさきにある嬉しいことも悲しいことも結末も、全部自分で受けとめる。

だって、私の大切な物語だもの。

 

(あ。レポートは普通に終わりました)