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ねこのごろごろ

おさかなねこです。

ハンカチ、感情を感じ切ること

私は、わりと泣き虫だ。

 

複数人いるところでは基本的に泣かないし、どうしようもない感情が襲ってきたときにはひとり部屋に籠るかひたすらお散歩してるか何も言わずにふらっと旅にでちゃうので、「えっそんな泣くの?」と思われるひとのほうが大多数だとも思う。たぶんね。感動モノとかみるとすぐ涙があふれるけどそういうのは無しでだよ。日常生活のなかでつらかったり苦しかったり、そういう心のときの話。

そんな私だけども、私が泣いても今のこのひと達ならブレずにいてくれるな〜安定感ばっちりだな〜というひとの前だと、よっしゃ泣くぞ!とがんがん勝手に脳みそがゴーサインを出してくる。なのでそういう人達には「話しながら泣くからよろしく」と宣言して話を聴いてもらうことがたまーにある。ふえええんと泣きながら話す。ティッシュの消費量がすごいことになるかハンカチがぐっしょぐしょになる。

 

ハンカチ。

ティッシュだとなんか格好つかないからハンカチ。いや使用頻度的にも圧倒的にティッシュのほうが現実的なんだけど、うん。涙で滲んだ視野にすっと差し出された、そっと頬に押しあててもらったハンカチ。ぐしゃぐしゃだったり結局使わなかったりだってするときもあるけど、いつだって心が緩む。さらに涙があふれてきたりもする。鼻水もとまらない。

まあ鼻水は置いといて、どうしてこんなハンカチ一枚に心が緩むのだろうなあとぼんやり考えていた。

そして最近浮かんだのは、そのハンカチに

「ここで感情を感じ切っていいんだよ。ここで出し切っていいんだよ」

という相手の心が乗せられていたからなのでは?ということ。

 

感情は感じ切ることで消化される。だから感じた感情を抑圧したり見ないふりをしていると、その感情はいつまでも消えず、いつか歪なかたちで心から飛びだす。楽しい嬉しい!という感情はあっという間に過ぎ去るのに、悲しい苦しいという感情からはなかなか抜け出せないのは大抵このせい。感じちゃいけない感情なんてこの世にはないのにね。なぜだか私たちは、こんな感情持ったらいけないと押し殺そうとしたり、見てみぬ振りをしてしまうことがある。

だって、痛いもんね。

現実問題、感情とばかり向き合ってられない場面はあまりにも多い。仕事だったりなんだりかんだり。その瞬間はどうしても感情を鞄につめてフタを閉じていまやるべきことをきっちりこなす必要が出てくる。大人になればなるほどそういう時間が増えていくし、社会で生きていくには必要な能力だよね。

でも同じくらい、ちゃんと後で鞄から感情を取り出して消化することも必要だと私は強く思う。じゃないと鞄は重くなるばかりで抱えてられない重さになるし、必要なものがすぐに出てこなくなるし、見た目も悪いし、、だんだん何がどれだけ入ってるのかすらわからなくなって、最終的には鞄の底が抜ける。ばあんっ。

鞄の奥にずんっと沈み込んではりついた感情は、なかなかに強敵。まずはひとりで出し切ろうとするけど(ひとりで部屋に籠もったり放浪して)、やっぱり無理なときもたまにある。はりついた部分を剥がそうとすると、どうしてもひとりじゃ痛みで力が入らない。くっそぅ。でもこれを放置しておくと精神的に死ぬ。

しかも稀に、奥の奥の奥につめすぎて「本当にそんな感情あったっけ?」と首を傾げてしまうこともある。カラ元気をモノホンの元気と自己暗示をかけている状態。これが一番精神的に最悪な状態を招くのも知ってる。

そんなとき、私は話す。

そして、泣かせてもらう。

私が泣いてもこいつらはブレずにいてくれるって思えるひと達の前で。

 

ハンカチ。

「ここで感情を感じ切っていいんだよ。ここで出し切っていいんだよ」

あのひと達はそんな想いを乗せてあのハンカチを出してくれたんだな。だからあんなに感情を感じ切って出し尽くすことができたんだな。苦しい、悲しい。痛い。痛みを怖れて力の入らない手を、背中を、そっと支えてくれた。根っこに触れるのはとてもとても痛いけれど。

涙はとりあえず出し切った。

顔は、むくんだ。

鞄は、軽い。

 

いつもありがとう。わたし自身も、大切なひと達にとって「安心して感情を感じ切れる場所」であれたらいいな。ハンカチ持ちあるこ。

 

 

※ ハンカチハンカチ言ってるけども、もちろんハンカチだけじゃなくて、頭を撫でてくれたり背中をさすってくれたり優しい眼差しで見守ってくれたり、抱きしめてくれたり、そういうのたっくさんあります。抱きしめられたらもうぽろっぽろに涙こぼれていくよ、わたし。だけどもそういうのって諸々その相手との関係性で限定される行為なので(笑)、どういう関係でもおかしくないしよくある「ハンカチを差しだす」という行為しぼってかきましたとさ。