「いつかここからいなくなる」
「いつかここからいなくなる」
このことばに、暖かい愛を感じるようになったのはいつからだろう。
大好きな菜の花が揺れていた小学校の花壇。「あいつがすき!」と叫んだ男子の目線のさき。ああだこうだ言いながら靴をいれた中学校の下駄箱。緑色の瞳をしたネコの横。かじりつくように向かった高校の机。これからどうなるのかともたれかかった予備校の壁。そっと手を繋いだ誰かの隣。
もうそこに、私の場所はない。
なにかの永遠を信じていた。しかし永遠は全否定され、その事実を受け入れられなくて泣き崩れた日や離れたくないとしがみついた日がどこかにあった。なんににも触れたくないとしゃがみこんだ日も、泣いて泣いて泣き喚いて涙が枯れそしてそのまま沖縄行きの飛行機にとびのった日も、たぶん昔のどこかにあった。
沖縄の海は、静かにきらきらと輝いていた。
まなざしをくれた男の子は、素敵なオトナになって私のことなど忘れてるだろう。私の名前が貼られることはもう無いあの下駄箱には、きっと誰かが眠い目を擦りながら革靴をしまっている。緑目のネコが産んだこどもは十数歳になって、私が帰省するたびに出迎えてくれる。あの机には壁には、いまどんな落書きがあるのだろう。あの手は、幸せにいっぱいに、誰かと繋いでいるのだろうか。
そして私も。
いつのまにやら、新しいたくさんの体温とくすくす笑いあっていた。
その間にもたくさんのさよならがあって、わんわん泣いたりひっそり涙をこぼしたり、だけどもしゃがみこむことはほとんど無くなった。それはきっと上手なお別れとお別れのさきにあるものを知ったから。
永遠なんてなくていい。
なにかとのさよならがあったから、これからあなたとわたしは出会える。
新しい体温、新しい椅子、新しい世界を教えてくれたのはいつだって「さよなら」で、精一杯の愛をもって抱きしめてきたからこそ言える「さよなら」だった。
あなたにいつか伝える「さよなら」も、そんなことばでありたいから。
いま精一杯の愛をもってあなたと向き合わせてほしい。そしてしかるべきときがきたら、笑顔でこの場所からふみだそう。新しい誰かが気持ちよくこの場所へやってこれるように。
教室がかわるとき、この本を読み終えたとき、誰かの気持ちが変わったとき、死が訪れたとき。あなたとのしかるべきときはいつだろう。
まあきっと、そのときがきたら解るんだろう。
花壇の真ん前、男の子の眼差し、放課後の下駄箱、愛しい緑目のネコ、教室のあの机、予備校の隅っこ、誰かの隣。
どれももう私の場所じゃない。でも、どれもいまの私をつくりあげている、とても愛おしいあなたたち。永遠なんてないと分かっていたのに、それでも永遠を願ってしまうような時間をくれた、愛おしいあなたたち。
私もあなたたちにとってそんな存在であれたなら。
私はもう、あの場所にいない。
このことばに、暖かい愛を感じるようになったのはいつからだろう。
大好きな菜の花が揺れていた小学校の花壇。「あいつがすき!」と叫んだ男子の目線のさき。ああだこうだ言いながら靴をいれた中学校の下駄箱。緑色の瞳をしたネコの横。かじりつくように向かった高校の机。これからどうなるのかともたれかかった予備校の壁。そっと手を繋いだ誰かの隣。
もうそこに、私の場所はない。
なにかの永遠を信じていた。しかし永遠は全否定され、その事実を受け入れられなくて泣き崩れた日や離れたくないとしがみついた日がどこかにあった。なんににも触れたくないとしゃがみこんだ日も、泣いて泣いて泣き喚いて涙が枯れそしてそのまま沖縄行きの飛行機にとびのった日も、たぶん昔のどこかにあった。
沖縄の海は、静かにきらきらと輝いていた。
まなざしをくれた男の子は、素敵なオトナになって私のことなど忘れてるだろう。私の名前が貼られることはもう無いあの下駄箱には、きっと誰かが眠い目を擦りながら革靴をしまっている。緑目のネコが産んだこどもは十数歳になって、私が帰省するたびに出迎えてくれる。あの机には壁には、いまどんな落書きがあるのだろう。あの手は、幸せにいっぱいに、誰かと繋いでいるのだろうか。
そして私も。
いつのまにやら、新しいたくさんの体温とくすくす笑いあっていた。
その間にもたくさんのさよならがあって、わんわん泣いたりひっそり涙をこぼしたり、だけどもしゃがみこむことはほとんど無くなった。それはきっと上手なお別れとお別れのさきにあるものを知ったから。
永遠なんてなくていい。
なにかとのさよならがあったから、これからあなたとわたしは出会える。
新しい体温、新しい椅子、新しい世界を教えてくれたのはいつだって「さよなら」で、精一杯の愛をもって抱きしめてきたからこそ言える「さよなら」だった。
あなたにいつか伝える「さよなら」も、そんなことばでありたいから。
いま精一杯の愛をもってあなたと向き合わせてほしい。そしてしかるべきときがきたら、笑顔でこの場所からふみだそう。新しい誰かが気持ちよくこの場所へやってこれるように。
教室がかわるとき、この本を読み終えたとき、誰かの気持ちが変わったとき、死が訪れたとき。あなたとのしかるべきときはいつだろう。
まあきっと、そのときがきたら解るんだろう。
花壇の真ん前、男の子の眼差し、放課後の下駄箱、愛しい緑目のネコ、教室のあの机、予備校の隅っこ、誰かの隣。
どれももう私の場所じゃない。でも、どれもいまの私をつくりあげている、とても愛おしいあなたたち。永遠なんてないと分かっていたのに、それでも永遠を願ってしまうような時間をくれた、愛おしいあなたたち。
私もあなたたちにとってそんな存在であれたなら。
私はもう、あの場所にいない。
いつかここからもいなくなる。
そうしてまた、わたしもあなたも、新しく「出会う」のです。
表現するちからが欲しくて
「言葉にしなくたって想いは伝わる」というけども。
「言葉なんてちっぽけで無力だ」ともきくけども。
それでも言葉にしたい。
だって、肌と肌を触れあわせて伝えることだけに重きをおくには、わたしたちにはあまりにも時間がたりない世界にいるから。伝える相手も限られてしまうから。からだの温もりを、眼差しを、声の体温を、あなたに想いがぜんぶ伝わるまで届けつづけるにはどうしても厳しいときがあるだろうから。
だからきっと、言葉は存在するのでしょう?