ねこのごろごろ

おさかなねこです。

雨と私の左肩

ずどどどど、音を立てて落ちてくる雨。窓の向こうなのによく聞こえる。机に突っ伏してうたた寝していた私の耳にも届いたらしい。雨の日の夢をみた。もういったい何年前になったのか、懐かしい日の夢だった。でも現実の過去とはエンディングが異なっていた。

夢のなかの私は、ちゃんと自分の傘を使ったのね。

「私の左肩を濡らしてでも入りたかった傘は、これじゃない」。自分の傘を広げて、私は雨の道へと踏み出した。頬は濡れていた。そのかわり左肩は濡れていなかった。夢のなかで泣きながら、晴れの日みたいに笑っていた。

 

目覚めたら机によだれが垂れていた。拭きながら苦笑して、それからぷっと吹き出した。

ほら。雨の日も素敵じゃないの。

ただそばにいる

何もしない。ただそばにいる。
それができるひとは、きっと少ない。

健やかなるときを一緒に過ごせるひとは大勢いるだろう。楽しいこと笑いあうこと素敵なきらきらしたこと。たぶんいまこの文章を書いているカフェのなかでもそういう相手は見つけられる。どれだけ強く長期記憶に刻みつくかは、相手次第だけどね。

でも、病めるときを共に過ごせる存在はうんと少ないんだ。
これは努力次第なのか相性なのか天性のものなのか。そもそもが難しい。いつ、どんなことで、どれくらい病めるときを過ごすことになるかなんて、ひとによって異なりすぎて。「なにかをしてあげなくては」。治療の手立てを持っていたなら、でもその治療が効かなかったら?他の手立ては?効かない?あなたを救えるのはどんなものなの。そもそもソレはあなたにとってはそんなに耐えられないもの、抱えきれないものだった?どうにかできなかった?ねえ、私がどこまでどうすればあなたは笑ってくれるの?その笑顔はどうしてそんなにぼろぼろなの。泣き顔も無理した笑顔もみたくないよ。これさ、いつまで、いつまで続くの。これくらいのことで。そんなこと。こんなこと。私どこまでなにを頑張ればいいの?


ねえ、くるしいよ。
ねえ、私は一体、なんのためにあなたのそばにいるの。


「私はなにもしてあげられない」「私にはあなたを救えない」。圧倒的無力感を突き出される。いつのまにか自らの内で膨れあがる重圧に耐えきれずに立ち去る。それはもうどうしようもないことで。


ただそばにいる。
何もせず何も言わずにただそばにいるということが、どれほど困難なことか。
病室のドアは、静かに重い。


だから。
だからただ私のそばにいてくれた、それがほんの僅かな時間だったとしても、もう今はそばにいないとしても、私の心をただ見守ってくれたあなたたちに、私は「ありがとう」と言い続ける。もう直接言うことができないとしても。私があなたたち自体を思い出すことがなくなったとしても。

それでもずっと私は、あなたたちを忘れない。

 


私はあなたたちに救われました。
あのとき、そばにいてくれてありがとう。

そして、ただそばにいてくれるあなたたちに、ありがとう。

 

2018年6月最後の夜、新宿駅西口のルノワールにて。

 

つつみ、つむぎ、つづけ、つなげるもの

「繋げていきたい」

ちょうど一年前、突然このことばがぐわっと降ってきて、そしてむねの奥に根を下ろしました。すごい抽象的なのに鮮明な衝動で、母や姉がよく使う表現でなら天啓というものなのかしらん。

私というたったひとりのことだけを考えているとき、こんなことは思いませんでした。かといって、他者のことばかりを考えているときに思い浮かぶはずもなく。

 

でもふと、ふと「私と誰か」のことを思ったときに。

 

何気なく懐かしい曲を口ずさんだとき、いってきますの挨拶、洗濯物をたたむとき、調味料の入れる具合、支えるときの手の位置、トランプゲームのやり方、いつも何気なく書く文章の癖、頬に触れようと手を伸ばすとき。

もうそれを教えてくれた誰かの存在を思い出すことはなくても、あるいはいちいち意識することはなくても、必ず破片がどこかに残っていて。それでいまの私は構成されていて。そう思うとき、私はなんとなく自分を肯定できる。
(あ、待って、調味料の入れる具合はやっぱりわからない。料理から逃げてる人生だからふふふふ、って笑ってる場合じゃないねえなんてこったい!)


くさい言い方になっちゃうけど、私って、今までに出会ってきたあらゆるものたちの破片が繋がれてきた集合体なのかも。そしてその出会ったものたちも、たくさんの存在から繋げられそして繋いできたんだよなあ。辿っていくとすごいことになるよなあ。
そんな考えがぱあっと浮かんで、ああ、繋げていきたい、と。


もう会いたくもないと思ってしまうような人が遠い過去にいたとしても、その人から素敵なひとかけらだけでももらったなら、それを繋げていきたいなって。
もう二度と会えない誰かがいたとしても、時が経つにつれて思い出すことがどんどん減っていっても、あなたが残していったかけらをいつまでもどこまでも運んでいきたいなって。


あなたたちを繋げていきたいんだ。
私のなかに残る素敵な破片を。
できるなら、一緒に繋いでいきたいと心から思えるような人たちと。


"つつみ つむぎ つづけ つなげるもの"
"つなげ つづけて つながるもの"

 

嘘を愛する女」の主題歌を聴きながら、改めて考える今日この頃でした。



きみの笑顔も拗ねた顔もぷにぷにの頬も、わたしを引っ張る腕も、突撃してくるあたまも、丁寧に教えてくれた大富豪のやり方も、伏せたまつげも、さいごに握ってくれた手も、絶対に繋げていくから。大富豪、ちゃんといろんなこどもたちに教えていくから。
 
無力感に襲われる日々の連続だけど、
でも、がんばるよわたし。

 

繋げていくこと

「俺のやってることってさ、社会的価値あるの?」
ある人に電話で訊かれました。
「俺さ、よくわかんなくなった。人生一度きりなんだから楽しもうぜ〜色々しようぜ〜みたいな個人の話じゃなくて。いやもうそれなら存分楽しんでるし(そうだね君はいろんな意味で楽しそうだ!)、今聞きたいのはそうじゃなくて、」
「人間社会としての人生ってなんなの?」

そうだなあ。開口一番こんなこと訊かれるとは想定しなかったよ。数ヶ月振りの会話なんだしさ、ひさしぶりの一言くらい入れようよ。ちょっとくらいアイスブレーキングしようよ。
 
人を生きるってなんでしょう。
簡潔に表すなら私は
「自分の知恵を他人に受け渡す・繋げること」
なんじゃないかなあ、と。

「ひとりの時間」が私にとって大切かつ必要不可欠な話

「ひとりぼっち」の時間を今あえて勧めるワケ | プレタポルテ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

「ひとりぼっちの時間は、そうした緊張感から私を解き放ってくれる、貴重な時間だったのです。」ーーー少し前にSNSで頻繁に流れていた内向的人間についての漫画と並んで、じーんときた記事。

 


誰かと一緒に遊んだりおしゃべりするのってとっても楽しいし嬉しいし大好きなんです。でも同時に、ひとりの時間をしっかりがっつりとらないとすぐ電池切れになってしまう。
自分ってそういう人間なんだな〜、と去年くらいからしみじみ感じています。いやもうね、ひとり旅やひたすら散歩するのが大好きな時点で解ってたけど。疲れるとふらっとどこかに行きたくなるし。沖縄いきたい。(ついでに恋人と一緒に家にいる時間は、"日常生活の一部" として私自身が捉えてるからか、ずっと一緒にいてもそういう意味でのエネルギー消費量は少ない。面白い)


そんな自分の性質をわきまえずに「せっかく誘ってくれたから…一応この日空いてるし…」と予定を詰めてしまえば、せっかくの "誰かといる時間" に力がはいらなくなって、自分だけじゃなく他人も傷つける羽目になる。そう、誰も幸せにならない。うん。

遊びに誘われたら基本断らずに遊び尽くす人や友達と毎日遊んでる人ってすごいなあと思うけど(そして世間ではそれをフットワークが軽い!と賞賛されるわけだけど)、そういう人は誰かといる時間でエネルギーチャージをするタイプか充電がはちゃめちゃ保つタイプなだけで。充電方法と必要時間が全く異なる私がそれを真似したところで誰も得しないわけで。自爆テロを起こすだけで。


遊びやごはんに誘ってくれるの、とてもとてもとっても!嬉しいんです!

それは変に勘違いしないでね!

でも大切なあなたとの時間だからこそ、充電が切れそうな自分で対応したくない。それで自分もあなたも傷つけるなんてこと、したくないんです。
だからたまーに日程が空いてても「ごめんね」と言ってしまうことがあるけど、どうかご了承ください。あなたのこと好きだからこそなんだよ。

 

"誰かと一緒にいると決めた時間" をめいいっぱい楽しみたいからこそ、

誰かを大切にしたいからこそ、
ひとりの時間をちゃんととる。躊躇しない。

 

今年の目標のひとつです

あのときのうらない

占いは基本的に信じないタイプなのだけども、「しいたけ占い」だけは毎週楽しみに読んじゃうおさかなねこです。水瓶座です。

 

ネットサーフィンをしていたら、まだ私がしいたけ占いを知らなかった頃の「週間しいたけ占い〜水瓶座〜」が飛び飛びながらも載っていまして。わくわくしながら読んでみまして。

 

続きを読む

あなたの何気ないことばに、ずっと救われてる

 

 

はあちゅうさんのtwitterより。

 

「おさかなねこは、大丈夫」

小学生のとき通っていた塾の先生が三者面談で私の母親に放った一言。

 

「そりゃ面倒だよ。でもしかたないじゃん。お前だから」

ぼろぼろの精神状態だったわたしに電話をかけてきてくれて、話を聞いてくれて、こんな面倒に付き合わせちゃってごめんねと鼻声で謝ったときに、少し笑いながら友達が言ってくれたことば。

 

そしてここには書かないけども。

あなたの何気ない、あのときのことば。

 

いつまでたっても私を支えてくれてる。