ねこのごろごろ

おさかなねこです。

「ひとりの時間」が私にとって大切かつ必要不可欠な話

「ひとりぼっち」の時間を今あえて勧めるワケ | プレタポルテ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

「ひとりぼっちの時間は、そうした緊張感から私を解き放ってくれる、貴重な時間だったのです。」ーーー少し前にSNSで頻繁に流れていた内向的人間についての漫画と並んで、じーんときた記事。

 


誰かと一緒に遊んだりおしゃべりするのってとっても楽しいし嬉しいし大好きなんです。でも同時に、ひとりの時間をしっかりがっつりとらないとすぐ電池切れになってしまう。
自分ってそういう人間なんだな〜、と去年くらいからしみじみ感じています。いやもうね、ひとり旅やひたすら散歩するのが大好きな時点で解ってたけど。疲れるとふらっとどこかに行きたくなるし。沖縄いきたい。(ついでに恋人と一緒に家にいる時間は、"日常生活の一部" として私自身が捉えてるからか、ずっと一緒にいてもそういう意味でのエネルギー消費量は少ない。面白い)


そんな自分の性質をわきまえずに「せっかく誘ってくれたから…一応この日空いてるし…」と予定を詰めてしまえば、せっかくの "誰かといる時間" に力がはいらなくなって、自分だけじゃなく他人も傷つける羽目になる。そう、誰も幸せにならない。うん。

遊びに誘われたら基本断らずに遊び尽くす人や友達と毎日遊んでる人ってすごいなあと思うけど(そして世間ではそれをフットワークが軽い!と賞賛されるわけだけど)、そういう人は誰かといる時間でエネルギーチャージをするタイプか充電がはちゃめちゃ保つタイプなだけで。充電方法と必要時間が全く異なる私がそれを真似したところで誰も得しないわけで。自爆テロを起こすだけで。


遊びやごはんに誘ってくれるの、とてもとてもとっても!嬉しいんです!

それは変に勘違いしないでね!

でも大切なあなたとの時間だからこそ、充電が切れそうな自分で対応したくない。それで自分もあなたも傷つけるなんてこと、したくないんです。
だからたまーに日程が空いてても「ごめんね」と言ってしまうことがあるけど、どうかご了承ください。あなたのこと好きだからこそなんだよ。

 

"誰かと一緒にいると決めた時間" をめいいっぱい楽しみたいからこそ、

誰かを大切にしたいからこそ、
ひとりの時間をちゃんととる。躊躇しない。

 

今年の目標のひとつです

あのときのうらない

占いは基本的に信じないタイプなのだけども、「しいたけ占い」だけは毎週楽しみに読んじゃうおさかなねこです。水瓶座です。

 

ネットサーフィンをしていたら、まだ私がしいたけ占いを知らなかった頃の「週間しいたけ占い〜水瓶座〜」が飛び飛びながらも載っていまして。わくわくしながら読んでみまして。

 

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あなたの何気ないことばに、ずっと救われてる

 

 

はあちゅうさんのtwitterより。

 

「おさかなねこは、大丈夫」

小学生のとき通っていた塾の先生が三者面談で私の母親に放った一言。

 

「そりゃ面倒だよ。でもしかたないじゃん。お前だから」

ぼろぼろの精神状態だったわたしに電話をかけてきてくれて、話を聞いてくれて、こんな面倒に付き合わせちゃってごめんねと鼻声で謝ったときに、少し笑いながら友達が言ってくれたことば。

 

そしてここには書かないけども。

あなたの何気ない、あのときのことば。

 

いつまでたっても私を支えてくれてる。

 

食べれなかったあのときの話

最近、体重増加がとまりません。

ストレスやらなんやらがかかるとすぐ過食になる私。もともと食べるの好きなうえにそれだからやんなっちゃう。体質的に筋肉も脂肪もつきやすいし、だからといって食べるの我慢すると諸々崩壊する。なので自分が「標準体重よりうえの人生」を歩むことに関してはもう諦めがついてきました。諦めというか、受容みたいなもの。でもその中でも「これより増えたら自己肯定してられない」というラインがあって、今そのあたり。ヒック。

 

でもね、そんな私も過去にたった一度だけ、

「身体が食べることを拒否する」という経験をしたことがあります。

 

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「自分はHIVに感染してない」と、心の底から言える?

HIV検査?うん、したことあるよ」
 
 
私がこんな発言をしたとき、あなたは私にどんなイメージを抱くのか。
 
(検査行かなきゃいけないほどアブないことしたの?)(へえ、遊んでるんだ?)(そういうこと人に喋って、恥ずかしくないの?)
 
ええわかってる。わかってますとも。殆どの反応はこうだった。医療従事者にもそんな反応されてしまうのだから、今の日本の現状としてはたぶんもうどうしようもないことなんだろう。私のような年齢の女性が性に関連したことを話すのは少なくとも日本では「恥じらいがなく」「遊んでいる」ことになりやすい。好奇の目でばかり見られやすい。それにたぶん「生々しい」。話の本筋から少し外れるけど、私個人の意見としては正直誰がどれだけ遊んでようが自己責任で・二者間の合意の上で・二者間で完結している関係なら第三者がとやかく言うことでも喚くことでも批難されることでもない気がするのだけども、まあそうは思えない人も茶化して楽しみたい人もいるのが当然で(だからあんなにみんなゴシップネタがお好きなんでしょ?)、つまり「遊んでる」というイメージを持たれるような発言をしないほうが変に噂もされないし、楽でしょう。下手に喋らないほうが誤解も受けずに生きていける。
 
それでも私は話す。
ちょっぴり勇気を振り絞って。
 
恥じらいは、向かい合うべきことから逃げることじゃないから。
この生々しさを持ってでしか、あなたに響かないことがあるかもしれないから。
誤解を受けてでも、あなたに伝えたいことがあるから。
だからあなたにも少しだけ、少しでいいから、茶化さずに私の話を聞いてもらえたら嬉しいです。
 
HIVエイズについての正しい知識について〜とかは今回割愛してしまうので、ぶっちゃけよく分かってないよ!という人はこちらのサイト(http://www.hivkensa.com/whatis/)(https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/400-aids-intro.html)などを一読してからぜひこちらに戻ってきてください。お願いします。
 
 

路面電車に乗り

春の陽気を感じるとまず長崎が浮かぶのもザボン味のカステラ食べたくなるのも、路面電車に乗りたくなるのも花々で満ちた庭園を歩きたくなるのも、坂道の途中でふと振り返った景色があんまりにも鮮やかで暫く立ち尽くしたことを思い出すのも、はじめて長崎に足を踏み入れたのが春だったからなんだろうなあ。

数年前の春、長崎空港から市内への連絡バスに揺られながら、柴咲コウの「invitation」をずっと聴いていたのが懐かしい。春なのに日差しが痛かった。

 

またみんなでこよう

きみなしでもへいき

路面電車に乗り ひたすら揺られてみたら

「過ぎた夏の記憶」に収まる

 

沖縄も同じ。沖縄は、秋冬だね。

 

そこに誰がいたとか何があったとかそういうことはどんどん薄れていってしまうのに、どんどん新しい記憶で溢れかえるのに、もはや思い出そうとしなければ思い出せないのに、なのにあの瞬間、はじめてやってきたときのあの感情だけはいつだって鮮明に唐突に浮かぶ。

はじめてって、絶大だ。

 

あとねあとね、行為としてと感情としてのはじめてって全く別モノだから面白いよね。もちろんほとんどは一緒にやってくるのだけども、でも時々、同じ行為に対して複数回はじめての感情を味わえたりする。

そんなとき、やっぱり思う。

何度も繰り返してきたことを何度でも「はじめて」って感じさせてくれるモノや人や場所って、どれだけ自分にとって大事で大切で素敵な存在なんだろうって。

はじめてって、特別。

繰り返しのなかにあるはじめては、もっともっと絶大。

 

そろそろ沖縄行きたいなあ。

私は私のために

夕方うたた寝をしていたら、遠い昔のことを夢にみた。

目が覚めても布団に潜ったまましばらくぼんやり考え事をしていたらいつの間にやらかなりの時間が経っていて、ベッドから飛び起きパソコンにかじりつきレポートを打ち始め涙目になる私。なんで布団に潜りっぱしちゃったかなあ、いやまあ考え事してたわけだけど、いやでも布団め私を誘惑してきやがってあんなぬくぬく感包まれ続けたくなっちゃうじゃんか、あ。ああ。

 

私は選んだんだ、自分で。あのとき絶対に。

布団に潜ったままでいたことも。遠い昔のことも。

 

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