ねこのごろごろ

おさかなねこです。

 

そもそもほとんど他者に話してなくて、ごく僅かに伝えたひと達も「半年くらい前から」としか伝えてなくて、ほんとは数年前からもうそういう状況になってた。ただ前は頻度がもうちょっと少なかった。そしてなにより他者と一緒にいるときにはそうなることを抑えられてたから、誰にも言わずに済んでいたし楽しく笑って過ごせていた。ふざけた感じで「そうはなってないよ」と笑って喋れた。真逆の状態になったときはさすがに隠し通せなくて、でもそのあとまた笑いながら過ごせる状態に戻り、ひとりになったときに全部済ませられていた。せめて、せめてと思うことはあれど、結局なんにも変わらなかっただろうなあ。

 

なのに、半年前くらいからとうとう誰かと一緒にいるときでさえそうなってしまうようになった。しかもこんな長い間まわりに隠していけた理由のひとつも、いやその理由だけ漏れてしまった。他者からみれば常軌を脱してる状態なんだろうなあ。わかってる。喋っても喋らなくてもきっと常軌を脱してるという認識になるんだろう。いや、そんなことはない。なんてったって私のまわりのひと達は泣きそうなくらい暖かくて芯が優しいひとばかりだもの。でも、それでもくちから言葉がでてこない。だって私のまわりはほんとうに頑張ってるひと達だから。それにくらべ、私はあまりにも「甘え」「贅沢」「自業自得」だ。きっと聴いたら複雑な心境にさせるのもわかっているから言葉がでてこない。大切なひと達の前だからこそ、喋れなくなる。怒られてるほうがまだ良い。そんな私に愛想を尽かして離れていかれるほうが、まだましだ。

 

それでも、いや、 どうにかできたこともたくさんあった。それを怠ったのは自分だった。わかってるよ。だから。

 

小学生だったとき。私が起こしてしまったとある出来事のあと、母がカレーライスをただひたすら掻き混ぜて、でもスプーンが口に届くことはなく、ひたすら掻き混ぜて、そして私に顔を向けた。悲しみいっぱいの瞳を思いだす。ごめんね。ごめんなさい。ごめんね。ごめんね。

 

(追記)

それでも、あなたにほんとうにありがとう。ここにかかれている内容には全く触れず喋ってしまったけども、最終的な今回のできごとについてようやく誰かに話せて、それだけで私は救われたんだよ。ありがとう。

これからどうにかするためにも、目の下の隈を消さないとね。今夜は少しくらいねむれますように。

つつみ、つむぎ、つづけ、つなげるもの

「繋げていきたい」

ちょうど一年前、突然このことばがぐわっと降ってきて、そしてむねの奥に根を下ろしました。すごい抽象的なのに鮮明な衝動で、母や姉がよく使う表現でなら天啓というものなのかしらん。

私というたったひとりのことだけを考えているとき、こんなことは思いませんでした。かといって、他者のことばかりを考えているときに思い浮かぶはずもなく。

 

でもふと、ふと「私と誰か」のことを思ったときに。

 

何気なく懐かしい曲を口ずさんだとき、いってきますの挨拶、洗濯物をたたむとき、調味料の入れる具合、支えるときの手の位置、トランプゲームのやり方、いつも何気なく書く文章の癖、頬に触れようと手を伸ばすとき。

もうそれを教えてくれた誰かの存在を思い出すことはなくても、あるいはいちいち意識することはなくても、必ず破片がどこかに残っていて。それでいまの私は構成されていて。そう思うとき、私はなんとなく自分を肯定できる。
(あ、待って、調味料の入れる具合はやっぱりわからない。料理から逃げてる人生だからふふふふ、って笑ってる場合じゃないねえなんてこったい!)


くさい言い方になっちゃうけど、私って、今までに出会ってきたあらゆるものたちの破片が繋がれてきた集合体なのかも。そしてその出会ったものたちも、たくさんの存在から繋げられそして繋いできたんだよなあ。辿っていくとすごいことになるよなあ。
そんな考えがぱあっと浮かんで、ああ、繋げていきたい、と。


もう会いたくもないと思ってしまうような人が遠い過去にいたとしても、その人から素敵なひとかけらだけでももらったなら、それを繋げていきたいなって。
もう二度と会えない誰かがいたとしても、時が経つにつれて思い出すことがどんどん減っていっても、あなたが残していったかけらをいつまでもどこまでも運んでいきたいなって。


あなたたちを繋げていきたいんだ。
私のなかに残る素敵な破片を。
できるなら、一緒に繋いでいきたいと心から思えるような人たちと。


"つつみ つむぎ つづけ つなげるもの"
"つなげ つづけて つながるもの"

 

嘘を愛する女」の主題歌を聴きながら、改めて考える今日この頃でした。



きみの笑顔も拗ねた顔もぷにぷにの頬も、わたしを引っ張る腕も、突撃してくるあたまも、丁寧に教えてくれた大富豪のやり方も、伏せたまつげも、さいごに握ってくれた手も、絶対に繋げていくから。大富豪、ちゃんといろんなこどもたちに教えていくから。
 
無力感に襲われる日々の連続だけど、
でも、がんばるよわたし。

 

繋げていくこと

「俺のやってることってさ、社会的価値あるの?」
ある人に電話で訊かれました。
「俺さ、よくわかんなくなった。人生一度きりなんだから楽しもうぜ〜色々しようぜ〜みたいな個人の話じゃなくて。いやもうそれなら存分楽しんでるし(そうだね君はいろんな意味で楽しそうだ!)、今聞きたいのはそうじゃなくて、」
「人間社会としての人生ってなんなの?」

そうだなあ。開口一番こんなこと訊かれるとは想定しなかったよ。数ヶ月振りの会話なんだしさ、ひさしぶりの一言くらい入れようよ。ちょっとくらいアイスブレーキングしようよ。
 
人を生きるってなんでしょう。
簡潔に表すなら私は
「自分の知恵を他人に受け渡す・繋げること」
なんじゃないかなあ、と。

「ひとりの時間」が私にとって大切かつ必要不可欠な話

「ひとりぼっち」の時間を今あえて勧めるワケ | プレタポルテ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

「ひとりぼっちの時間は、そうした緊張感から私を解き放ってくれる、貴重な時間だったのです。」ーーー少し前にSNSで頻繁に流れていた内向的人間についての漫画と並んで、じーんときた記事。

 


誰かと一緒に遊んだりおしゃべりするのってとっても楽しいし嬉しいし大好きなんです。でも同時に、ひとりの時間をしっかりがっつりとらないとすぐ電池切れになってしまう。
自分ってそういう人間なんだな〜、と去年くらいからしみじみ感じています。いやもうね、ひとり旅やひたすら散歩するのが大好きな時点で解ってたけど。疲れるとふらっとどこかに行きたくなるし。沖縄いきたい。(ついでに恋人と一緒に家にいる時間は、"日常生活の一部" として私自身が捉えてるからか、ずっと一緒にいてもそういう意味でのエネルギー消費量は少ない。面白い)


そんな自分の性質をわきまえずに「せっかく誘ってくれたから…一応この日空いてるし…」と予定を詰めてしまえば、せっかくの "誰かといる時間" に力がはいらなくなって、自分だけじゃなく他人も傷つける羽目になる。そう、誰も幸せにならない。うん。

遊びに誘われたら基本断らずに遊び尽くす人や友達と毎日遊んでる人ってすごいなあと思うけど(そして世間ではそれをフットワークが軽い!と賞賛されるわけだけど)、そういう人は誰かといる時間でエネルギーチャージをするタイプか充電がはちゃめちゃ保つタイプなだけで。充電方法と必要時間が全く異なる私がそれを真似したところで誰も得しないわけで。自爆テロを起こすだけで。


遊びやごはんに誘ってくれるの、とてもとてもとっても!嬉しいんです!

それは変に勘違いしないでね!

でも大切なあなたとの時間だからこそ、充電が切れそうな自分で対応したくない。それで自分もあなたも傷つけるなんてこと、したくないんです。
だからたまーに日程が空いてても「ごめんね」と言ってしまうことがあるけど、どうかご了承ください。あなたのこと好きだからこそなんだよ。

 

"誰かと一緒にいると決めた時間" をめいいっぱい楽しみたいからこそ、

誰かを大切にしたいからこそ、
ひとりの時間をちゃんととる。躊躇しない。

 

今年の目標のひとつです

あのときのうらない

占いは基本的に信じないタイプなのだけども、「しいたけ占い」だけは毎週楽しみに読んじゃうおさかなねこです。水瓶座です。

 

ネットサーフィンをしていたら、まだ私がしいたけ占いを知らなかった頃の「週間しいたけ占い〜水瓶座〜」が飛び飛びながらも載っていまして。わくわくしながら読んでみまして。

 

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あなたの何気ないことばに、ずっと救われてる

 

 

はあちゅうさんのtwitterより。

 

「おさかなねこは、大丈夫」

小学生のとき通っていた塾の先生が三者面談で私の母親に放った一言。

 

「そりゃ面倒だよ。でもしかたないじゃん。お前だから」

ぼろぼろの精神状態だったわたしに電話をかけてきてくれて、話を聞いてくれて、こんな面倒に付き合わせちゃってごめんねと鼻声で謝ったときに、少し笑いながら友達が言ってくれたことば。

 

そしてここには書かないけども。

あなたの何気ない、あのときのことば。

 

いつまでたっても私を支えてくれてる。

 

「自分はHIVに感染してない」と、心の底から言える?

HIV検査?うん、したことあるよ」
 
 
私がこんな発言をしたとき、あなたは私にどんなイメージを抱くのか。
 
(検査行かなきゃいけないほどアブないことしたの?)(へえ、遊んでるんだ?)(そういうこと人に喋って、恥ずかしくないの?)
 
ええわかってる。わかってますとも。殆どの反応はこうだった。医療従事者にもそんな反応されてしまうのだから、今の日本の現状としてはたぶんもうどうしようもないことなんだろう。私のような年齢の女性が性に関連したことを話すのは少なくとも日本では「恥じらいがなく」「遊んでいる」ことになりやすい。好奇の目でばかり見られやすい。それにたぶん「生々しい」。話の本筋から少し外れるけど、私個人の意見としては正直誰がどれだけ遊んでようが自己責任で・二者間の合意の上で・二者間で完結している関係なら第三者がとやかく言うことでも喚くことでも批難されることでもない気がするのだけども、まあそうは思えない人も茶化して楽しみたい人もいるのが当然で(だからあんなにみんなゴシップネタがお好きなんでしょ?)、つまり「遊んでる」というイメージを持たれるような発言をしないほうが変に噂もされないし、楽でしょう。下手に喋らないほうが誤解も受けずに生きていける。
 
それでも私は話す。
ちょっぴり勇気を振り絞って。
 
恥じらいは、向かい合うべきことから逃げることじゃないから。
この生々しさを持ってでしか、あなたに響かないことがあるかもしれないから。
誤解を受けてでも、あなたに伝えたいことがあるから。
だからあなたにも少しだけ、少しでいいから、茶化さずに私の話を聞いてもらえたら嬉しいです。
 
HIVエイズについての正しい知識について〜とかは今回割愛してしまうので、ぶっちゃけよく分かってないよ!という人はこちらのサイト(http://www.hivkensa.com/whatis/)(https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/400-aids-intro.html)などを一読してからぜひこちらに戻ってきてください。お願いします。